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2010年4月20日 (火)

下関おきそこ 今昔物語(その2)

 前回から、間が開いてしまいましたsweat01

 下関おきそこの過去を振り返り、これからのことを考えてみたいと思います。

 で、下関おきそこですが、現在、下関漁港における水揚量38,007トンのうち約16.6%に相当する6,319トンを水揚げしています。

 下関漁港での水揚げのうち、下関漁港地方卸売市場に上場されたのは20,499トン。

 従って、市場扱いでは、約30.8%を占めていることになります(以上、いずれも数値は平成20年)。

 下関おきそこが下関漁港の基幹漁業であると言われる由縁ですが、以前アップしましたとおり、かつての下関漁港の主幹漁業と言えば以西底びき網でした。

 そこで、過去の統計資料をもとに、これら漁業がどのように推移してきたかをグラフ化してみました。

 統計データは、昭和22年から揃っているのですが、当時の漁業種類は、トロール・機船底曳網・運搬船その他の3種類しかなく、なおかつ、単位が「貫」!

 統計上、以西底曳網と以東底曳網(沖合底曳網)が明確に分けられるのは、昭和38年データからでした。

Photo

 出典は、昭和38年から昭和47年までが各年の下関漁港漁況年報、昭和48年以降が各年の下関漁港統計年報です。

 これを見ると、以西底曳網は、昭和47年までほぼ毎年右肩上がりに漁獲が増加して76,451トンに達し、以降、急激に減少しているのが分かります。

 なお、以西底曳網は平成4年を最後に、下関漁港から完全撤退してしまいました。

※ 実は、それ以降も、長崎県から以西ものが陸送されたり、水産高校の実習船が若干の水揚げをしたりしていますが、数量的にはわずかに止まっています。

 以西底曳網の衰退の原因は、漁船の大型化に伴う資源の減少や、加工用原魚の魚価の低落、日中・日韓漁業協定締結による漁場の狭隘化などだといわれています(参考文献:「山口県漁業の歴史」有薗眞琴著、(社)日本水産資源保護協会)。

 かたや、沖合底曳網はといいますと、東経128度30分以東の海域を漁場として高級魚や高級かまぼこ原料を主体に漁獲していたこともあり、昭和38年当時は7,927トンで以西底曳網(61,853トン)の1割強しかなかったものが、以降は右肩上がりに水揚げを伸ばし、以西底曳網のかげりをよそに、ついに、昭和58年には、3倍強の25,765トンに達し、以西底曳網24,420トンを追い越してしまいます。

 しかし、その沖合底曳網も、年による変動はあるものの、追い越した前年の昭和57年の26,375トンをピークに減少に転じ、平成20年にはピークの約1/4の6,319トンとなってしまうのです。

 このあたりの解析は、下関おきそこのこれからを考えていく上で大切と思いますので、改めてまとめてみたいと思います。

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